高取町大字森字ヲチヲサに所在する森ヲチヲサ遺跡は、町立給食センター建設に伴い、平成27年5月11日から8月末日(予定)の期間、高取町教育委員会が発掘調査を実施し、調査面積は試掘を合わせて約500m2になります。
本調査を実施した調査区から大壁建物3棟以上を検出しました。大壁建物1は正方形で一辺は13.5mです。建物は、幅50cm、現状の深さ30cmの箱型の溝が四方にあります。溝内部に50cm間隔の、直径40cmの掘形に直径20cmを測る円形の柱痕跡が20前後並んで検出しました。今後、柱痕跡の確認のため溝を断割り、断面観察で柱を検証していきます。
大壁建物1の南側に並列する大壁建物2があります。現状で大壁建物1より一回り小さく10.5mを測る一辺と調査区南西部で大壁建物1・2と主軸が違う、幅60cm、長さ3.5mの溝を検出しました。平面精査から溝内に柱痕跡が確認出来たので大壁建物の一部と考えています。
大壁建物1の東側面に約3mの壁溝が途切れた所に、1.1mの楕円形の土壙から西へ2m延びた幅50cmの溝が、北へ屈曲して6m延び調査区外まで継続しています。溝内からは炭・焼土や土器砕片が混ざった粘質土が堆積しています。
出土遺物は、古墳時代から古代の土師器・須恵器・黒色土器・瓦器など遺物収集箱(コンテナ)8箱分が出土しています。土師器は、甑や平底鉢など韓式系土器や滑石製勾玉が出土しています。
森ヲチヲサ遺跡の調査から大壁建物が3棟以上検出され、1棟に通路状の石敷(バラス)が確認されています。楕円形の土壙や溝の形態、周辺に炭化物が混ざった粘質土が堆積していることから、オンドル(床暖房)の可能性が高いと考えられます。高取町内の大壁建物の検出は、7遺跡で約40例確認されていますが、建物全体が判明することは大変貴重で、一辺13.5mの大壁建物は全国的に最大級であり、床面積は約182m2(約55坪)あります。大壁建物は出土遺物から5世紀後半と考えられます。
雄略二年(458年)に百済系の渡来人の檜隈氏が来朝し、中国の呉に渡り、今来才伎(いまきのてひと)と呼ばれる多くの知識人や技術者を連れて帰国したと日本書記に書かれています。古墳時代の檜隈地域は、高取町を含めた大きな範囲と考えられ、今回検出された大壁建物が檜隈氏に係わる可能性があると考えられます。
OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影
iPhone 5Sで撮影