今回の発掘について
伊勢遺跡は守山市伊勢町集落を中心に広がる弥生時代後期の環濠集落です。遺跡は東西にのびる標高98m前後の微高地上に立地していて、その規模は過去30次以上の調査から、東西約700m、南北400mと推定されています。遺跡の東端(大洲地区)と北端、西端では幅3m以上の大溝の一部が見つかっていて、南端で検出された自然河道(幅20m以上)にとりつくように集落の周りを巡っていると考えられます。西端の大溝のすぐ西側には8基の方形周溝墓が発見されていて、他にもこのような墓域のあることがわかっています。
集落内部では竪穴住居50棟以上(うち五角形住居5棟)をはじめ掘立柱建物、多数の柱穴、土壙、溝などが検出されています。
遺跡の中心部には柵で四角く区画された内側に床面積80平方メートルを越える大型建物「主殿(しゅでん)」を中心に形式の異なる建物群が整然と配置された地点(18次・21次調査地点)があります。またこの中心区画の西側70mには独立棟持柱建物(どくりつむなもちばしらたてもの)(祭殿・床面積42平方メートル)また東側の大洲地区では同じ形式の大型建物が2棟、さらに南側130mの地点(栗東町野尻遺跡)では屋内に棟持柱のある大型建物1棟が発見されているなど、遺跡の中枢部やその周辺に大型建物が集中しています。おそらく、これらの地点が政治や祭祀を行う重要な場所であったのでしょう。
伊勢遺跡は近江の同時代の集落と比較しても規模や内容で郡を抜いていて、2〜3世紀の「クニ」を治める王が住まいした中心的な集落であったと考えられます。
以上、展示パネルより
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