配付資料
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興福寺中金堂院回廊東南の調査
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|はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造|回廊基壇/基壇外装と雨落溝|階段と門|回廊の柱間寸法と中金堂院の設計|近世以降の遺構/出土遺物/おわりに|興福寺略年表|
|図:興福寺回廊|図:東面回廊 階段平面図|遺構平面図|既発掘区遺構全図|
平城第347次調査 現場説明会資料 020831 |
近世以後の遺構 回廊に囲まれた中庭部分では新しい時期とおもわれる建物を2棟検出しました。西よりの建物1は現在調査中で、時期や構造などは不明です。ただし瓦を小口立てにしてつくった雨落や丸瓦を一直線にならべた仕切りのようなものがともなっています。東よりの建物2はすでに回廊東北の調査で確認されていたもので、今回はその南部分を検出しました。時期は明治以降と考えられます。 出土遺物 瓦類:奈良時代創建時から江戸時代まで、各時期の瓦が出土しています。すべて割れて破片となっていますが、文様のある軒瓦によってその時代がわかります。多くは中庭部分を埋め立てたときの土や埋め立て前の地面に振り込んだ瓦廃棄穴などから出土しました。類例のすくない安土桃山時代の桐文道具瓦が出土しており、1999年度に中金堂前庭部から出土した金箔瓦との関係が注目されます。 土器類:中庭の瓦廃棄坑穴から11世紀後半の土師器皿が出土しており、一部は灯明皿として使用しています。そのほか江戸時代の土師器皿や陶磁器が出ています。 金属器類:今回は多数の銭が出土しています。江戸を通じて流通していた寛永通宝がもっともおおく、そのほか明治以降の一銭玉・二銭玉などもありました。 おわりに 本調査のもっとも重要な課題は回廊の構造を明らかにすることでした。発掘の結果、これまでの発掘調査成果と矛盾することのない構造の回廊施設を確認することができました。5年度にわたる発掘調査によって、中金堂院の主要建物と回廊の東半分の状況が明らかになりました。中金堂院は左右対称につくられているはずなので、基本的には院の全貌が明らかになったといえるでしょう。ただし東面回廊の南北長については『興福寺流記』に記載された規模とは異なっていることから、今後、検討を進める必要があります。 |
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|図:興福寺回廊|図:東面回廊 階段平面図|遺構平面図|既発掘区遺構全図|
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