配付資料
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興福寺中金堂院回廊東南の調査
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|はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造|回廊基壇/基壇外装と雨落溝|階段と門|回廊の柱間寸法と中金堂院の設計|近世以降の遺構/出土遺物/おわりに|興福寺略年表|
|図:興福寺回廊|図:東面回廊 階段平面図|遺構平面図|既発掘区遺構全図|
平城第347次調査 現場説明会資料 020831
興福寺中金堂院回廊東南の調査
法相宗大本山 興福寺
奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部
和暦 (西暦)
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事項
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和銅3年(710) | 3月 | 平城京遷都(続紀) 藤原不比等厩坂寺を平城京左京三条七坊に移し、興福寺と称す(興福寺流記) |
和銅7年(714) | 3月 | 興福寺金堂供養(初例抄・帝王編年記) |
養老4年(720) | 8月 | 藤原不比等没(続紀) |
10月 | 造興福寺仏殿司を置く(続紀) | |
養老5年(721) | 8月 | 北円堂建立(興福寺流記) 金堂に弥勘浄土を造る(興福寺流記) |
神亀3年 (726) | 7月 | 東金堂建立(興福寺流記・扶桑略記) |
天平2年 (730) | 五重塔建立(興福寺流記・扶桑略記) | |
天平6年 (734) | 正月 | 西金堂建立(興福寺流記・扶桑略記) |
弘仁4年 (813) | 南円堂建立(興福寺流記) | |
元慶2年 (878) | 4月 | 鐘楼・僧房など焼失(日本三代実録・扶桑略記) |
永承元年(1046) | 2月 | 北円堂・倉を除く諸堂焼失(扶桑略記・百錬抄・僧綱補任) |
永承3年(1048) | 3月 | 金堂・講堂・南円堂供養(造興福寺記・百錬抄・中右記) |
康平3年(1060) | 5月 | 金堂・講堂・西金堂・中門・回廊・南大門・三面僧房など焼失(扶桑略記・百錬抄・参会定一記・康平記) |
治麿3年(1067) | 2月 | 金堂・講堂など供養(扶桑略記・百錬抄) |
嘉保3年(1096) | 9月 | 金堂・僧房・講堂・回廊・中門・南大門・鐘楼・経蔵など焼失(中右記・百錬抄) |
康和5年(1103) | 7月 | 金堂・講堂など供養(中右記・百錬抄・本朝世記) |
治承4年(1180) | 2月 | 平重衡の兵火により全焼す(玉葉・吾妻鏡) |
建久5年(1194) | 9月 | 金堂供養(玉葉・百錬抄・愚管抄) |
建治3年(1277) | 7月 | 金堂・講堂・三面僧房・中門・回廊・南大門など焼失(中臣祐賢記) |
正安2年(1300) | 2月 | 金堂など供養(嘉元記・帝王編年記) |
嘉暦2年(1327) 応永6年(1399) |
3月 | 衆徒の争乱により金堂・講堂・西金堂・南円堂・中門・回廊・南大門など焼失(嘉元記) |
3月 | 金堂供養(東院毎日雑々記) | |
享保2年(1717) | 正月 | 講堂・金堂・西金堂・回廊・中門・南大門・南円堂焼失(享保弐丁酉日次記) |
文政2年(1819) | 9月 | 金堂建立、篤志家の寄進による仮堂建築(興福寺再建記) |
慶応4年(1868) | 3月 | 神仏分離令発令(復古記) |
明治14年(1881) | 2月 | 再興を許可される(興福寺資料) |
昭和49年(1974) | 1月 | 仮金堂建設(工事報告書) |
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