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平城宮第一次大極殿院 西楼の調査

調査の概要検出遺構出土遺物まとめ
奈良時代後半の平城宮と宮内の主な楼閣建物の位置木簡釈文史料付録

平城第337次調査現地説明会資料
8020518奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部

【第337次調査 西楼柱抜き取り穴出土木簡】

 口口口 口
 口常食菜甚悪
[外ヵ]
官人に給食として支給された食料のうち、菜っ葉の品質が良くない(ので取り替えてほしい)と連格する手紙の木簡の断片と考えられます。

[ ]口令史大夫宣者
手紙の木簡の断片。指示の内容が書かれた後に、それが令史(某司の第四等官)の命であることが書き添えられている部分です。

(表)大初位下口
   少初位上口
(裏)[ ]

位階と人名を列挙した木簡。少初位上、大初位上は、30階の位階のうちそれぞれ下から五番め、3番めにあたります。

  [荷ヵ]
荷薪廿口寺
薪の付札木簡。二次的に切断され、上部にさらに別の物品が善かれていた可能性もあります。末尾の「寺」は、寺から、あるいは寺への荷物の意味でしようか。

隠伎国役道都河内郷礒部黒口
隠伎国役道都河内郷(現在の島根県隠岐郡五箇村)からの荷札木簡。磯部黒口は人名。海産物の荷札と考えられます。

(表)淡路国
   口口郡口馬郷口
  [津名ヵ]
(裏)戸□同姓男調三斗 勝宝四[

淡路国津名郡来馬郷(現在の兵庫県津名郡東浦町・淡路町)
からの調の塩と考えられる荷札木簡。天平勝宝4年(752)の年紀は、東楼の柱抜き取り穴出土の木簡の年紀とも近く、東西楼のこわされた時期を考える重要な史料になります。

調査の概要検出遺構出土遺物まとめ
奈良時代後半の平城宮と宮内の主な楼閣建物の位置木簡釈文
史料付録

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